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データドリブンの極意【Day0 データドリブン文化のはじまり】

Day0はプロローグとしての位置付け、なぜデータドリブンを目指すのか、そもそもデータとは何なのか。という本質について考えさせられる章です。

会社員である以上、与えられたミッションの達成に向けて取り組むのは当たり前と思いつつも、なぜデータドリブン文化を形成しないといけないのか?そもそもデータ分析ってなぜ必要なのか?と当初考えていた自分にとってはドンズバで突き刺さりました。

とくに「データリテラシー」という言葉について深く掘り下げられている点については感動を覚えました。

  • 「リテラシー」とは読み書きできる能力
  • 文字を読み書きできることは歴史的に見ると実は特別なこと
  • 中世のヨーロッパでは、ほとんどの人が読み書きができなかった
  • 庶民の代わりに聖書を読める聖職者がその役割を担っていた
  • そのため、世の中の多くの人がごく一部の人間の解釈に頼って生きていた。

その後、活版印刷の技術が登場し、本が簡単に複製できるようになり、人々が読み書くできるということが専門性の高い分野から一般教養にシフトしました。

このかつては文字を読める人が限られており、その人の解釈を聞くしかなく、そもそも文字に出会うことが少なかったというのは、少し昔の時代。例えばデータサイエンティストしかデータを扱えなかった時代のことにとても似ています。

ただ、昨今ではデータの量や種類も大量に増え、誰でもデータに触れる機会ができました。

TableauなどのBIツールが一般的な業務部門においても徐々にではありますが、利用されてきているのが良い証拠だと思います。

昔で言う活版印刷のようなことがこのデータの世界で起きており、文字を読むようにデータを扱うということが専門性の高い分野から一般教養になりつつあります。

そう考えると、データリテラシーを身につけること自体が会社に言われて仕方なくというより、この世の中を生き抜くために必要な、当たり前の教養として求められていることにふと気づきました。

そこで本書ではデータの読み書きの力を以下のように表現しています

  • 読む力:データが描くシーンを読み解き理解する能力
  • 書く力:読み解けるようにアウトプットできる力

この二つの力が両輪になり、データドリブン文化を形成する力とDay0では書かれています。

自分自身も「データリテラシー」という言葉を単に文字として捉えるのではなく、ストーリーを持って文化を広げていくものと認識できた章でした。

よし。明日からもがんばろ。

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